[所在地]岡山県久米郡久米南町大字上籾〜中籾

 発見の詳細は不明であるが,大阪鉱務署編の「大阪鉱務署管内鉱区一覧 大正3年7月1日現在」に初めて記載が見られる。昭和26年〜30年には稼行していた記録があり,昭和30年代半ば〜40年の間に閉山したようで,銅を採掘していた鉱山である。選鉱場などの施設が目立つためと稼行が割合記憶に新しいため場所について付近の高齢者の住民の方に聞くと大抵の人から回答が返ってくる。山の谷あいの川沿いに選鉱場の建物,ズリが2か所確認できた。特に選鉱場は壮観であるが巨大な廃墟と化している。この鉱山はどちらかというと鉱山としてよりも廃墟として知られている。北側のズリは山と山の谷を埋めてかなり山の上部まで続いている。南側のズリはそれほど大きくない。この2つのズリは遠くから見ると黒に近い濃い灰色に見える。ズリに行くには川に降り川を渡る以外に方法はないようだ。鉱床は古生層の粘板岩中の鉱脈鉱床である。南側のズリのみ登ってみたが,見られる鉱物は余り見栄えのしない黄銅鉱が少量見られる程度である。北側のズリを川沿いの道から眺める限り二次鉱物のようなものは見られない。その他施設跡付近に少量の孔雀石が見られた。日本の地質「中国地方」編集委員会の「日本の地質7 中国地方」によればこの鉱山の主な鉱床は走向延長1,200m,傾斜延長600m,脈幅は最大1mとなっている。その他もう1つ鉱床があったようだが,先の鉱床ほどではなかったようだ。鉱石鉱物は黄銅鉱,閃亜鉛鉱を主とし,磁硫鉄鉱,方鉛鉱,硫砒鉄鉱,黄鉄鉱を伴っていたようで,脈石鉱物は石英,方解石,緑簾石,緑泥石であったようだ。鉱石鉱物で銅と亜鉛の平均品位は,銅で15%,亜鉛で12%となっていた。