[所在地]岡山県井原市芳井町簗瀬

 発見の時期は平安時代初期の大同年間と言われている。稼行の時期については江戸〜明治時代に稼行していた記録が残っている。江戸時代には奉行所を置いて採掘していたようだ。地元の人の聞取りによれば昭和19年前後にも稼行していたということであり,採掘しては休止したりしていたと思われる。かなり古い時代には盛大に稼行された言い伝えがある。十六人間歩という間歩では16人が一度に災害死したという言い伝えが残っている。「岡山県地下資源調査報告書」では付近の4つの谷にいくつかの坑口があったと記録されている。銅を採掘していた鉱山であるが,古い時代には銀を明治時代以降は砒素を採掘し精錬していたそうだ。この地域には砒素を産する鉱山がいくつかありこの鉱山もそれらの1つだ。また山の裏手には別の鉱山があり同一の鉱床と思われる。古生層粘板岩中の中〜高温の熱水鉱脈鉱床である。鉱山は谷沿いの集落から南側の山中に入った所にある。入口付近には沈澱池のような鉱山の設備跡が残っている。さらに進むと砂防ダムがあり,その先を進んで行った所の山の斜面にズリが見られた。この鉱山は2回調査を行ったが,年々薮がひどくなっており2回目に訪れた際にはズリを見つけることができなかった。1回目の調査時にはズリを発見したがはっきりとした鉱物は少なくわずかに微細な方鉛鉱が見られた程度であった。また鉱山から沢に落ちて流れた鉱石が砂防ダムの下流側で見られることがあり,それらの鉱石の1つに閃亜鉛鉱が見られた。前出の資料では硫砒鉄鉱,黄銅鉱,黄鉄鉱が産出したという記録が残っている。
 地主さんの家が集落にあるので,必ず地主さんの許可をもらって入山すること。