[所在地]岡山県井原市芳井町山村

 地質調査所の「鉱物資源資料」には大正初めごろに開坑,7〜8年間稼行し,昭和10年頃にも稼行したが数年で休山したとの記載が見られる。鉱山名は日鉱梅木鉱山となっているものや山村鉱山となっているものもある。大正時代は山村鉱山,昭和時代は梅木鉱山または日鉱梅木鉱山で稼行したものと思われる。砒素,銅を採掘していた鉱山である。岡山県西部〜広島県東部には砒素を多く産出した鉱山がいくつかあり,この鉱山もその1つだ。古生層千枚岩とこれを貫く斑岩からなる中温〜高温の熱水鉱脈鉱床と思われる。大正時代には付近に砒素の製錬所が設けられていたそうだ。鉱床は梅木集落の周辺に3か所あった。1か所目は川のほとりにあり本坑だった。2か所目は集落の南側の山中にあったが,坑口はコンクリートで完全に被覆されている。また集落の東側の斜面に墓地があり,周辺に貧弱な孔雀石が見られ以前はズリ山だったことがうかがわれる。3か所目は集落の東側の山中で坑口が残っている。またわずかながらズリも残っている。地元の人に聞き取り調査を行うと1か所目の川のほとりの鉱床は水が流れ込むことがしばしばあり排水に苦労したようだ。また砒素を産出したことからほとんどの部分は鉱害防止のため埋められてしまったそうだ。3か所目の鉱床のズリは規模が小さいためと藪に覆われているため場所が分かりづらい。主な産出鉱物は硫砒鉄鉱と黄銅鉱だったようだ。堀秀道氏著草思社発行の「楽しい鉱物図鑑2」に砒鉄鉱,チロル銅鉱が産出したことが記載されている。現地は2か所目,3か所目を調査したのみだが,鉱物が見られたのは3か所目の鉱床で,母岩中に点々と1mm程度の硫砒鉄鉱または砒鉄鉱が見られた。白色味が強いことからおそらく硫砒鉄鉱と思われる。他には孔雀石,濁沸石が見られたのみだった。