[所在地]岡山県新見市哲西町上神代

 この鉱山の発見の詳細は不明であるが,地質調査所発行の大正11年に記載された庄原圖幅地質説明書によれば30余年前に開削となっていることから明治中期~大正中期にかけて稼行したものと思われる。地元の人の話によれば昭和初期にも稼行していたようだ。岩樋鉱山として記載されている資料も見られる。硫化鉄を採掘していた鉱山である。古生層橄欖岩及び蛇紋岩中の正マグマ鉱床と思われる。鉱山は集落の南西の山の中腹の斜面にある。集落から南に延びる山道,山中を進むと林道に出る。林道が広くなっている部分にさらに上に登る幅1.5~2m程の山道がある。その山道を進んだ山の7,8合目に広葉樹林と植林地(針葉樹林)の境があり,その付近にある。山中であるため場所は分かりにくい。地元の人の話では坑口は5号坑まであり,1,2号坑は話に出なかったが3,4号坑は竪坑で5号坑は横坑だった。しかしこれらの坑口は崩落してしまったとのことである。当時は鉱石を数10km離れた吹屋(高梁市成羽町坂本)まで運び出していた。山中でもベンガラ(酸化鉄の赤色顔料)を製造していたようで,林道付近に山積みされていた。以前は大工さんがこっそりベンガラをすくって持ち帰り建築中の家の柱に塗っていたこともあったそうだ。ベンガラの山積みは今も残っているだろうとのことだったが,現地では小山はあったものの落ち葉や植生で覆われ,この小山がベンガラの山積みであるかは確認できなかった。以前は集落からでもズリが見えたそうだが,今ではズリは自然に戻りつつあり,茶色に錆びた硫化鉄の鉱石からかろうじてズリと分かる程度である。ズリは10~15mの長さがあったが坑口はやはり確認できなかった。鉱山で見られた鉱物は磁硫鉄鉱が主であり,その他黄鉄鉱,褐鉄鉱,方解石及びリザード石(蛇紋石類)などが見られた。
 
近くに地主さんがの家があるので,必ず地主さんに立入の許可をもらうこと。