[所在地]岡山県倉敷市玉島道口

 発見の詳細は不明である。東京地学協会発行の「日本鉱産誌」に記載が見られるが稼行時期についての言及はない。一方,昭和2年に記載された地質調査所発行の「岡山地質説明書」には大正5~7年の間の銅精鉱産出額が記され,大正8年12月に採掘を中止したと記載されていることから大正5~8年の間に稼行したことは確かなようだ。その前後稼行されたかどうかは不明である。また,大阪鉱山監督局編の「大阪鉱山監督局管内鉱区一覧 昭和17年7月1日現在」にも記載が見られる。銅を採掘した鉱山である。稼行当時の行政区域は浅口郡富田村大字道口であり,富田村が玉島市(現倉敷市)に編入されたのは昭和28年のことであるため,鉱山の稼行時期と符合しないことから鉱山名は地域名に由来している可能性がある。また同村に明治時代,中山鉱山が稼行していた記録が残されており同一の鉱山の可能性がある。古生層石英斑岩中の中温~高温の熱水鉱脈鉱床と思われる。鉱脈は3条あったようで,脈幅は0.5~1mとなっているが,場所によっては1~2mあったようだ。鉱石品位は銅2~5%となっている。この鉱山の北西側に弥高鉱山が北側に呉妹鉱山がありいずれも銅を採掘し似通っていることから同じ性質の鉱床と思われる。鉱山は地区内を東西に走る広域農道沿いの北側の谷を40~50m入った所にある。入口にはズリが広がっており,一見して鉱山跡だと分かる。ズリは谷に向かって雪崩れており,ズリの奥には坑口が残っている。ズリ中で確認された鉱物は紫色をした微細な蛍石,孔雀石,青鉛鉱である。脈石鉱物としては石英が見られる。いずれも弥高鉱山で見られる鉱物であり,やはり弥高鉱山と非常に似通った鉱床であることが分かる。「日本鉱産誌」には黄銅鉱,黄鉄鉱の産出記録が見られる。また,「岡山地質説明書」には硫砒鉄鉱の産出記録が見られる。ズリは草木がほぼ生えていないため,砒素はある程度含まれていると考えられる。