[所在地]山口県山口市徳地引谷

 発見の詳細な時期は不明であるが,東京地学協会発行の「日本鉱産誌」によれば昭和15年開発と記載されている。稼行の詳細な時期についても不明である。ただ地元の人も鉱山の正確な位置を知っていたことからそれ程古い時期ではないと思われる。また前出の資料は昭和44年発行であり,昭和15〜44年の間の割合早い時期に稼行したものと思われる。昭和44年当時には休山となっている。銅を採掘した鉱山である。この旧徳地町の中心〜旧山口市東部の地域には銅を採掘した小さな鉱山がいくつかあり,この鉱山もその1つだ。中生層花崗岩中の中温の熱水鉱脈鉱床と思われる。鉱山へは県道から踏み分け道が延びている。ただ踏み分け道は荒れており特に入口付近は薮がひどい。訪れた時期は晩秋だったがそれでも薮漕ぎが必要となるくらい生い茂っていた。踏み分け道を進んで行くとズリがあり,奥には坑口が見られる。ズリの付近には高い石垣が見られ鉱山の遺構と思われる。ズリからさらに奥に入って行くと割合広い平らな広場があり,奥には坑口が確認できた。ズリ中には金属鉱物では黄銅鉱,コベリン,閃亜鉛鉱,方鉛鉱がわずかに見られた。鉱物採集仲間は自然銅と思われるものを採集している。近くの八坂鉱山ではデクロワゾー石が発見されていることから調査を行ってみたが,二次鉱物では孔雀石が見られる程度であった。この鉱山は放射能異常があるとされる鉱山で,ウランの調査が行われたことがある。コフィン石?が産出するようであるが非常に微量であった。「日本鉱産誌」によれば他には黄鉄鉱,蛍石が産出したとの記録があり,また「徳地町史」には燐灰ウラン石が産出したとの記録が残っている。
 ところでこの徳地町一帯はたまに熊が出没することがある地帯であり,鈴などの鳴り物は必携である。また早朝や夕方などの時間帯や秋などの熊の出没頻度が高い時間,時期は避けたほうが良さそうだ。