[所在地]山口県美祢市美東町真名

 発見の詳細な時期は不明であるが,「美東町誌」によれば江戸時代の元禄年間に5〜6年稼行していたとの記載がある。また,昭和時代には試掘したとの記録がある。銅を採掘した鉱山である。古生層千枚岩中の中温の熱水鉱脈鉱床と思われる。この鉱山のすぐ東側には宗国鉱山があり,同一の鉱床と思われる。鉱山は宗国鉱山手前の山を登って行った所にある。鉱山までは昔使用していた鉱山道のような踏み分け道があるが,入口付近はイバラが茂り薮がひどい。入口付近を過ぎればイバラは少なくなり踏み分け道になる。山の斜面を登っていくと高さ10m,幅20mくらいのズリの下に到達する。ズリの状態からも最近稼行したようには見えず,少し前の時代に稼行したような様子がうかがえる。「美東町誌」には詳細な図面が記載されており,このズリの上の方にも別のズリがあったようであるが,調査したところよく分からなかった。他にも小さいながらも製錬を行った窯のようなものも見られるようだが確認できなかった。他にもズリよりさらに上に露天掘り跡があったようで,鉱山の入口から露天掘り跡までの間に坑口が6か所あったとの記録が見られる。ズリで見られる鉱物は金属鉱物では黄銅鉱,二次鉱物では孔雀石,ラング石くらいである。ズリ全体でもこうした鉱物もあまり見られず量的にはかなり少ない。調査を行って結構な年月が経っていることから,入口付近のイバラはさらに生い茂り通行もさらに困難になっていることが予想される。入口付近のイバラの量は半端なものではなく体の露出部分には擦り傷が数多くでき,衣類もかなり被害を受けるものと思われる。入口を迂回して進むことができるかどうかは不明である。