[所在地]山口県美祢市美東町大田

 発見の詳細な時期は不明である。稼行の時期については「美東町誌」によれば,江戸時代の中頃に断続的に稼行した記録が残っている。明治時代,大正時代にも稼行し,大正時代から観音鉱山と呼ばれるようになった。それ以前は一ノ淵鉱山と呼ばれていたそうだ。昭和時代に入っても稼行していたようだ。一時期,金ヶ峠鉱山の支山として稼行していた可能性もある。銅を採掘していた鉱山である。古生層砂岩中の中温の熱水鉱脈鉱床である。この鉱山の北側の谷あいには他にも似たような銅山が2つあり,観音鉱山に近いところから古観音鉱山,坂祢鉱山と呼ばれている。この鉱山へは川沿いの県道から山に向かって延びる市道を進んで行く。山に入る手前に堰が現れる。その付近まで自動車で進むことができるが,そこから先は徒歩で進むこととなる。堰の横に小道があり進んで行くと谷に小さな滝のような小段に突き当たる。この付近から小道が明瞭でなくなる。小段の横の山中を注意しながら進んで行くと最初のズリが現れる。さらに沢を進んで行くと2つめのズリが現れる。ズリは2つとも幅20m,高さ10m程度である。「美東町誌」には採掘跡,山神社跡,製錬所跡や坑口などの図面が詳細に描かれている。製錬所跡と記されていることから当地で製錬もされていた時期があるものと思われる。現地を調査する際にその図面を持ち合わせていなかったため現地を詳細に調査することはできなかった。坑口についても確認することができなかった。ズリ中には金属鉱物では黄銅鉱,二次鉱物では孔雀石,ブロシャン銅鉱,ラング石,青鉛鉱,珪孔雀石などが見られた。資料は「美東町誌」の他にも東京地学協会発行の「日本鉱産誌」,笹倉正夫氏著「山口県金ヶ峠鉱山の地質」などがあり,それぞれ産出鉱物について記載が見られる。それらの資料によると他には閃亜鉛鉱,方鉛鉱,硫砒鉄鉱,黄鉄鉱,方解石,石英,緑泥石の産出が確認されたと記載されている。