[所在地]島根県出雲市佐田町佐津目
発見の詳細は不明であるが、明治時代以前に発見されたと思われる。島根県地質図説明書編集委員会編集の「島根県の地質」によれば明治初年、ドイツ人兄弟によりエルム坑が開かれ、相当量の出鉱があったようだ。明治35年~大正時代にも稼行し、昭和18年に再開発され昭和41年まで稼行した。昭和24年以降の総産出量は粗鉱で14,500tという記録が残っている。銅を採掘した鉱山である。昭和時代の品位は金3g/t、銀500g/t、銅は13%と記録されており、銀の含有量も多かった。他にも小原谷本𨫤、山ノ神坑本𨫤などいくつか鉱床があり、銅は10%前後、銀は300g/tとやはり銀の含有量が多かった。中生層流紋岩中の中温の熱水鉱脈鉱床と思われる。現地は県道から川を渡った山中にあり、現地の人も良く知っていた。山中はなだらかで、調査当時は一部藪と化していたが入りやすかった。緩やかな斜面を登っていくと坑口、施設が見られた。写真は施設を撮影したものだが、倒木や藪に覆われたコンクリート製の施設が見られ、鉱山跡ということがはっきり分かる。ただ鉱石は片付けられほとんど見られなかった。見られた鉱物は黄鉄鉱くらいだった。砂が不自然に多く堆積した場所があり、ここで鉱石を粉砕して選別したと思われる。先の資料では他に黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、石英、方解石、緑泥石類が産出した記録が見られる。銀は主に方鉛鉱中に内包されると思われる。ここから北東方向の川筋の高い所にも坑口があり、調査したところ、この辺りは斜面が急になっており、坑口に向かって細い山道が通じている。こちらも坑口ははっきり分かるが、鉱石はほとんど見られず、わずかに石膏が見られた程度だった。 |