[所在地]岡山県新見市上熊谷
この鉱山に関しては東京地学協会発行の「日本鉱産誌」,「新見市史」,「阿哲郡誌」に記載が残っている。「阿哲郡誌」によれば,発見の詳細な時期は天和元年(1681年)とされており,安政の初め頃(1855年頃)廃坑になったと記載されている。その後,明治21年に3か月,明治22年から4年間稼行したが休山になった。「日本鉱業誌」には明治時代中頃に稼行と記載されており,概ね一致している。また,昭和時代中頃には資源探査を目的とした磁力探鉱を主とする物理探鉱調査を実施している。ズリを一見した限り,中生層石英斑岩と蛇紋岩の接触部付近の中温の熱水鉱床と思われるが,調査を詳細に行っていないため正確には不明である。銅を採掘した鉱山である。鉱山は新見市から東に向かう県道沿いの家屋が点在する里山にある。県道から山に向かって市道が延びており,途中から林道のような道になる。林道が始まってすぐの所に位置しており,県道からほど遠くない位置にあるため,比較的行き易い。「阿哲郡誌」には鉱石は優良で比較的多量の銅,銀を含んでいるが,鉱床自体が次第に下降していることから排水が大きな障害となっていき,小規模な資本では採掘不可能と記載されている。また銅の品位は資料によりまちまちとなっているが,数%~10%程度と思われる。鉱山は林道からすぐのところにあり,ズリが広がっていた。坑口の写真を掲載しているが,どの辺りに位置していたのか不明のため,地図には坑口の位置を掲載していない。ズリは青灰色をした母岩が多く,ほとんど分解が進んでいないため二次鉱物等は見られなかった。ズリ中で見られた鉱物は,黄銅鉱,閃亜鉛鉱,黄鉄鉱,磁硫鉄鉱であり参考程度のものが多い。資料によると方鉛鉱も産出し,方鉛鉱中に微量の銀を含んでいるようだ。
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