[所在地]広島県福山市駅家町
昭和14年に開発されたが,昭和19年に火薬の入手不足から休山して現在にいたっている。アンチモンを採掘していた鉱山である。当時12〜13tの鉱石が出鉱され,品位はだいたいアンチモン0.2%という記録が残っている。この付近は,安土桃山時代から多くの坑道が開発され銀や銅を採掘していた。以前は付近に代官屋敷等の地名が残っていたそうだ。この鉱山は,これらの鉱床の辺縁の山の谷あいにある古生層中の低温〜中温の熱水鉱脈鉱床である。この鉱山の坑口は山の谷あいの河川からわずかに高い位置に開坑している。坑口の右側にやや平らになっている所があり,その平らになっている所に小規模なズリがあった。ズリ中でしばしば見られる鉱物はベルチェ鉱とバレンチン石で,黄色または褐色に錆びた鉱石を割るとだいたいベルチェ鉱である。その割れ口に時々バレンチン石が共生している。中にはベルチェ鉱からバレンチン石に変化しているような鉱石も見られた。その他しばしば見られる鉱物は輝安鉱,黄鉄鉱,方解石,石膏,石英,緑泥石などである。その他,顕微鏡大であるがベルチェ鉱上の所々に1〜2mmの粒状の帯薄黄色の半透明を成す自然硫黄,白色〜藁色の針状結晶の集合体として鉄黄安華が確認できた。その他,赤い針状結晶のメタ輝安鉱様鉱物,黄色の柱状や板状集合体の黄安華様鉱物なども見られたが今のところ同定に至っていない。
この鉱山付近は少し前にシイタケ栽培のための施設ができ柵が作られ立入禁止となっている。多くのほだ木が置かれどこが鉱山跡だったのか分からない程現地の様子も一変してしまった。勝手に立入るなどの行為は厳禁である。 |