[所在地]広島県庄原市東城町戸宇
発見の時期は不明であるが,マンガンを採掘していた鉱山である。東京地学協会発行の「日本鉱産誌」によれば昭和8年から昭和19年,昭和25年から昭和26年に稼行した記録が残っている。旧東城町のこの付近にはいくつかのマンガン鉱山が知られておりこの鉱山もその1つだ。古生層のチャート層中の層状マンガン鉱床である。この鉱山のすぐ南には石灰石の鉱山があり,石灰石の鉱山に行く旧道のような道(あるいは林道)を進んでいき,左に大きくカーブする所にある沢の右側を登っていくと鉱山にたどりつく。少し登るとマンガン鉱石が散乱するかなり小さいズリがある。ズリ中には薄いピンク色をしたバラ輝石が一部に見られた。そこから少し登っていくと植林地中に2か所坑口が見られ,1つはやや潰れかかっていた。さらに山の頂上付近まで登っていくと選鉱場の跡のようにも見える所があり,付近にはそれほど大きくないがズリが見られた。このズリには二酸化マンガン鉱が多く見られた。二酸化マンガン鉱の1つをX線回折分析してみたところパイロクロアイトのデータにほぼ一致した。ズリ中に黒に染まっていないワインレッド色の鉱物があり,一時は含バリウム鉱物ではないかと期待されたが,X線回折分析,定量分析などを行った結果その鉱物は灰鉄ザクロ石であるということが判明した。結晶は見られないが灰鉄ザクロ石にしては珍しい色をしているので現在でも標本箱に収まっている。ちなみにこの鉱山の主なマンガン鉱物は二酸化マンガン鉱でありこれを採掘していた。他には若干の菱マンガン鉱とバラ輝石を伴っていた。その他前出の文献ではハウスマン鉱,重晶石などが産出したとの記録もある。
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