[所在地]広島県庄原市東城町戸宇
発見の時期は不明であるが,マンガンを採掘していた鉱山である。呼び名は「せんべいやまこうざん」か「ぜみがめやまこうざん」か正確には不明である。小字が銭瓶山なので小字の呼び方が分かれば正確な名称も判明するものと思われる。稼行時期についての詳細は不明であるが,付近にある大仙鉱山や高山鉱山が稼行した時期と同時期か近い時期に稼行したものと思われる。東京地学協会発行の「日本鉱産誌」によれば鉱石の品位は60%となっており比較的品位の高い部分があったようだが,稼行実績からすると規模はかなり小さかったようだ。この地域の3つのマンガン鉱山では一番小さな規模であったと思われる。別名,銭亀鉱山(ぜにがめこうざん)ともいった。文献にも名前が出てくるぐらいで内容につ
いての記載はほとんど残っていない。旧東城町のこの付近には3つのマンガン鉱山が知られておりこの鉱山もその1つだ。地質的には大仙鉱山や高山鉱山と同じで古生層のチャート層中の層状マンガン鉱床である。県道から中国自動車道の下をくぐる道路から少し入った所の小山の斜面に位置しているが,山中にあるため場所が分かりづらい。その小山の林(雑木林かあるいは古い植林地)の中にマンガン鉱石が散乱するかなり小さなズリがある。ズリの少し上に坑口が潰れたような跡がある。ズリには二酸化マンガン鉱が多く見られた。二酸化マンガン鉱の1つをX線回折分析してみたところ水マンガン鉱を含んでいると思われる結果が得られた。その他見られたものは質のあまり良くないジャスパーくらいであった。マンガン鉱山にして珪酸分がかなり多く見られマンガンの品位が高い部分はごく一部であり,ほとんどの部分は品位があまり良くなかったのではないかと思われる。 |