[所在地]広島県庄原市東城町戸宇
発見の時期は不明であるが,マンガンを採掘していた鉱山である。東京地学協会発行の「日本鉱産誌」によれば昭和14年に稼行した記録が残っているが,それ以前にも採掘された記録がある。また鉱石の品位は30〜60%となっており比較的品位の高い部分があったようだが,稼行実績からすると規模は余り大きくなかったようだ。ただ,この地域の3つのマンガン鉱山では中間的な規模であったと思われる。別名,豊興鉱山(ぶんこうこうざん)ともいった。近くにある大仙鉱山の支山として稼行していた。旧東城町のこの付近には3つのマンガン鉱山が知られておりこの鉱山もその1つだ。地質的には大仙鉱山や銭瓶山鉱山と同じで古生層のチャート層中の層状マンガン鉱床である。「東城町誌」にはマンガン鉱を87t出鉱したとの記録が残っている。県道から中国自動車道の下をくぐる道路から入った所の小山の南東斜面の植林地中に位置しており坑口も見られた。その小山の南斜面には小規模なズリも見られた。ズリには二酸化マンガン鉱がいくつか見られた。二酸化マンガン鉱の1つをX線回折分析してみたところパイロルース鉱に近い結果が得られた。山頂は木が伐採され倒木が多く,地形が分かりにくくなっているが,坑口が潰れたような跡があり,ぼろぼろになった二酸化マンガン鉱が見られた。かつてはこの鉱山で採集された鉱石が豊興石という新鉱物として発表されたことがあったが,この鉱物は新鉱物でないことが判明し否定されてしまった。豊興石というのは今の鉱物種では何だったのかは不明である。ちなみにこの鉱山の主なマンガン鉱物は大仙鉱山と同じく二酸化マンガン鉱であったようだ。その他前出の文献では自然銅,菱マンガン鉱などが産出したとの記録もある。 |