[所在地]広島県福山市山野町大字山野

 発見の詳細は不明である。稼行の詳細な状況は,はっきりと記載されたものはないが,地質調査所発行の「広島県地下資源調査報告」によれば昭和26年に現地調査が行われ,定かではないがその当時の50〜60年前に稼行されたと記載されている。このことから稼行は明治時代中期〜後期と考えられる。調査時にも2〜3名で稼行しており数年間探鉱していたようだ。また地元の山野町の郷土誌にもこの鉱山について経緯や状況,現地の坑口や山神様の位置図などが詳しく記載されている。銅,亜鉛を採掘していた鉱山である。現地は河川が南北に流れるV字谷で峡谷になっている。川の東岸に県道が走っており,そのすぐ傍らに金網で塞がれた坑口が1つ残っているが別の鉱山である。この付近には他にも青滝鉱山,財福鉱山などがある。ちなみに青滝鉱山は川の対岸に位置しており,これらの鉱山は一連の鉱床と考えられる。いずれも古生層中の接触交代鉱床(スカルン鉱床)である。先に触れた坑口から少し北に進んだ右側の斜面にこの鉱山がある。道路脇に道路を守るための待ち受け擁壁があり,その付近が鉱山である。斜面や道路から少し登った所にはズリが残っている。斜面は急勾配になっており登るのに注意を要する。また斜面を登った先には坑口が2か所確認できた。坑口は竪坑になっているものもあり,10〜20m程度の深さがあったように思う。ズリで確認できた鉱物は磁硫鉄鉱と方解石である。現地では確認できなかったが,「広島県地下資源調査報告」によれば,黄銅鉱,閃亜鉛鉱,方鉛鉱,黄鉄鉱,輝コバルト鉱,磁鉄鉱,藍銅鉱を産出したとの記載がある。またスカルン鉱物としては灰鉄ザクロ石,緑簾石,灰鉄輝石が見られるとの記載がある。輝コバルト鉱は部分的に産出したものと思われる。