[所在地]広島県尾道市原田町小原

 発見の詳細は不明である。稼行の時期は,地質調査所発行の「広島県地下資源調査報告」には室町〜安土桃山時代に稼行され,昭和中期ごろに稼行した記録が残っている。東京地学協会発行の「日本鉱産誌」にも同様の記載が見られ,昭和時代については明確に昭和16〜20年稼行と記載されている。東隣にある「大永鉱山」の一部として稼行していた時期もあったようだ。銅を採掘していた鉱山である。鉱山名は小字または当該地区の呼称である鍛冶屋に由来するものと思われる。古生層粘板岩中の中温の熱水鉱脈鉱床と思われる。「広島県地下資源調査報告」には坑口が7か所あり,それぞれ1号坑〜7号坑の名前が見られる。1号坑と2号坑は繋がっていたようで,また5号坑から北に150m離れたところに6号坑があり,6号坑から北に80m離れたところに7号坑があったようで,記載を見ると鉱山はある程度の広がりを持っていたことが分かる。採掘は地表からわずかの部分を採掘しただけではあるが,竪坑を掘削したとしても事業として成り立つだけの鉱量は期待できないのではないかとの意見が付されている。この鉱山の産出鉱物はいわゆる雑鉱という微細の鉱物が混じり合ったものだったようだ。雑鉱として構成される鉱物は主に磁硫鉄鉱,方鉛鉱,黄銅鉱,閃亜鉛鉱だった。合併前の尾道市の北部〜三原市北東部にかけてこうした小規模の雑鉱を産出した鉱山が数か所見られる。鉱山はこの地域の小規模な集落の奥に入った山中にあったと思われ,集落の近くにある墓地の横にわずかながらズリが見られる。先ほど述べた坑口は今の所詳細な場所は不明である。ズリで見られた鉱物は閃亜鉛鉱,方鉛鉱,黄鉄鉱などで1つの母岩に共生しているものが多く見られる。鉱物としては参考程度のものが多い。