[所在地]広島県東広島市西条町郷曽
発見の時期,稼行の時期は全く不明であり,この鉱山について記された資料はほとんど見られない。銅を採掘していた鉱山である。呼び名は「ほとけびらこうざん」か「ほとけだいらこうざん」あるいは「ほとけひらこうざん」か他の呼び名があるのか不明である。唯一記載がある資料は,地質調査所の平成11年に発行された地域地質研究報告5万分の1地質図幅「海田市地域の地質」であり,本鉱山の沿革は不明だが,玉房鉱山の一部として探鉱されたらしいと記されている。ちなみに玉房鉱山は同じ地域内にあった鉱山で銅,銀,亜鉛,鉛を産出していた鉱山である。玉房鉱山も調査を行っているが今のところ所在は不明である。5万分の1の地質図「海田市」には鉱山の記号と銅,鉛,錫の元素記号が描かれている。中生層白亜紀後期の黒雲母花崗岩中の熱水鉱脈鉱床と思われる。地図にあるダム湖から北の集落に向けて延びる踏み分け道の途中に鉱石の転石が見られた。ズリと記載しているが,実際には転石程度であり,鉱石の集積場だったのか,鉱山から運び出した鉱石がたまたま転がっていたのか不明である。少なくとも鉱山から鉱石を運び出したルート上ではあるようだ。鉱山は実際には西方の里山の中腹より上もしくは頂上付近にあったものと思われる。転石の地点から西方に草をかき分け踏み入ってみたが,すぐに湿地帯となり,草木の繁茂が著しく鉱山への到達は難しい。よって鉱山の位置などの詳細な様子は全く不明である。鉱石の転石はいわゆる鉛亜鉛であり,閃亜鉛鉱,方鉛鉱が集合したものである。なお,航空写真で転石のあった辺りを確認すると平成30年に瀬戸内地域を襲った豪雨災害によりこの転石の付近で土石流が発生した跡が見られ,すでに押し流されている可能性もあり得る。
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