[所在地]山口県下関市菊川町大字上岡枝
発見の詳細な時期及び稼行の時期は高橋英太郎氏著「山口地学会誌14号」という資料では昭和24年当時が開発当初と記載されている。他には渋谷五郎氏・亀谷敦氏著「山口県立山口博物館研究報告第39号」に山陽鉱山との記載があるが,同じ町名であることから同一のものと思われる。この鉱山について書かれた資料については先に挙げたこの2つくらいである。金を採掘した鉱山である。中生層頁岩及び粘板岩中の鉱脈鉱床である。鉱山は集落から入った里山の八合目付近の斜面にある。集落のすぐ近くにある里山を回り込んで進んでいくこととなるが目印が全くなく山中に位置していることから場所が分かりにくい。行く道の途中に鉱山事務所,選鉱場などもあったようだ。坑口が残っており坑口には「植松金蔵鉱山」と書かれた看板が掲げられている。坑口の入口は比較的大きい。鉱山名が異なっているが場所がほぼ一致していることからこの鉱山のことと思われる。坑口からわずかながらズリが雪崩落ちている。ズリ中には微細な閃亜鉛鉱が見られたのみであった。「山口地学会誌14号」では素焼状石英が見られ,その石英に閃亜鉛鉱が多量に含まれていると記載されている。金の産出状況について言及はないが,こうした石英に含まれるものと思われる。金の品位は5〜15g/tで平均9g/tと記載されている。ただ閃亜鉛鉱以外の他の鉱物の記載は見られない。また「山口県立山口博物館研究報告第39号」では自然金の箇所に山陽鉱山と記載されていることから自然金が産出したことは確実なようだ。集落に地主さんの家があり話を伺うと稼行の時期はよく分からないと話していたが,「金が出たら教えてくれ。」と言っていたのでやはり金は産出したようだ。ズリ中には石英はほとんど見られなかったことから,他に鉱床がある可能性もある。
集落に地主さんの家があるので,必ず地主さんの許可をもらって入山すること。
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