[所在地]山口県萩市大字明木

 「旭村史」によれば,発見の詳細な時期は不明だが,江戸時代の元和3年(1617年)に小規模ながら銅を採掘していたことは明らかであると記載されている。明治時代後期から昭和10年の廃鉱まで稼行したとなっているが,「佐々並村史」では昭和40年頃まで稼行したと記録されている。ちなみに明木村と佐々並村が合併し旭村となり,その後平成の大合併により萩市に編入された。この鉱山は,有望な鉱脈が見つかると採掘権を売買していたようで,投機的な面も持っていたようだ。採掘された鉱石は当初は美祢市美東町にある薬王寺鉱山の製錬所に運ばれていたが,その後大分県の佐賀関製錬所に運ばれるようになった。鉱山は大字明木の小字迫山という所にあったようだ。鉱山名は「おおもとこうざん」か「だいげんこうざん」なのか他の呼び方があるのか正確には不明である。銅を採掘した鉱山である。古生層石灰岩と石英斑岩の接触交代鉱床(スカルン鉱床)である。鉱山は国道から東南に延びる市道に入り,さらに進むと林道のような道になり,その林道のすぐ近くに位置している。竪坑は百掘ったと伝えられているが,坑口の位置は不明だった。現地でよく見るとズリのようなものが見られ,詳しく調べると鉱石が多く含まれており,明らかにズリだった。ズリ中で見られた鉱物は黄銅鉱,斑銅鉱,閃亜鉛鉱,孔雀石,灰鉄ザクロ石,珪灰石,珪孔雀石などである。灰鉄ザクロ石は結晶は小さいが,くすんだ黄色のものが集合したものが多く見られる。他にも輝銅鉱,藍銅鉱,緑簾石,珪灰鉄鉱を産出した記録が残っている。
 現地は国道から少し入った里山だが山深く,最近この地域で熊の出没情報が多くあることから鈴などの鳴り物は必携である。また早朝や夕方などの時間帯や秋などの熊の出没頻度が高い時間,時期は避けたほうが良さそうだ。